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2017年10月31日

第16回 ♬輝け青葉デー♬

曇り空と思いきや、眼下の道路が濡れ始めた。
7:00 朝食 今日は♬♬ 野菜タップリで体調管理


8:30 ホテル玄関で一年先輩のIさんにpickup。会場の文化会館へ。
♬輝け青葉デー♬ は中学校の体育館から始まった。
         ある時校長先生が音響を良くしようとベニヤ板で反響版を作って下さったこともあった。
         手作りの素朴な熱意ある時が過ぎ、立派に成長した♬輝け青葉デー♬
         今は立派な市の文化会館での♬輝け青葉デー♬
         Utubeで検索したら大合唱がupされていて驚いた。

声出し、リハで控え室と会場を行ったり来たり。久々に白黒の合唱ユニフォームでゾロゾロ移動。
午前中は各クラスの発表。
指揮も伴奏も生徒。

全体の司会も生徒。その中に滑舌、声、フレーズ 素晴しい男子生徒がいた。他人事ながら将来を夢見たりするOB。

午後はコンクールで受賞した合唱部の演奏など。
いよいよOBの出番。デジカメできるのは舞台袖。


生徒の合唱部と一緒に歌い、OBが混声、男声、女声。そして父兄&先生と一緒に歌う。
ラ ラ ラ ... 会場と一緒に手拍子で乗り乗りの一体感はホールを揺るがす♬

最後に生徒が学年単位で歌い、そして全校生が舞台で一緒になるハーモニーは迫力みなぎる。


終了後 小ホールで華道展を覗く。
赤い花に惹かれる。

アカメヤナギ とクルクマ
どちらも花言葉に「忍耐」があり、クルクマには加えて「あなたの姿に酔いしれる」
忍耐強くここまでやって来た、これからも忍耐... 了解!
何の姿に酔いしれる?...  それは「中学生の若さとその未来への夢」
 
想い出と現在の入り交じった心境で打ち上げ会場へ。
青葉中第二回卒業生の大先輩が隣席。82歳で母校の為に登校時の挨拶運動のヴォランテイアーもなさっているとのこと。
お話していると父を良くご存知で、思いがけず故郷が身じかになる。私の自己紹介に付け足して父の紹介をして下さり恐縮。
さらに同級生からblogの紹介も付け加えられ再度恐縮。
遅くならないように... と昨日からblog-up で感謝。


  

Posted by jun1940 at 08:48Comments(0)舞鶴

2017年10月30日

第16回 ♬輝け青葉デー♬ に向う

数ヶ月前「輝け青葉」へ参加しないか?と勧誘。


子供のときから一緒にピアノや合唱をしていたKさんからの勧誘。
練習も合宿も参加不可能だというと「楽譜送るから。暗譜じゃないから大丈夫よ!」
あれ! 楽譜が届いてしまった。
こうなると半端じゃ出来ない.... ほぼ暗譜状態にしないと指揮者のKさんに悪いな〜.... となった次第。
彼女は府立高校で教師をし、大阪で女性指揮者として活躍している。
お互い京都府で教師をスタートし、2年ほど一緒に宮津線で通勤した。

輝け青葉デーは10月28日。
青葉=京都府舞鶴市立青葉中学校
16年まえに始まった母校の合唱際へのOB合唱団の参加。

一ヶ月前に乗車券を準備し東舞鶴駅前のホテルを予約。あとは自主練するのみ.....

ところが 思いがけない大型台風が大暴れ。
綾部⇒東舞鶴間 土砂崩れのため運休。 バスの振替輸送の情報ゲット。

25日 柏駅みどりの窓口ですでに購入した乗車券がそのバスに有効か否かを確認。
夜 Kさんから 京都から特急バスがあると☎
一時間に1本の振替バスに乗ると返事。

26日 夜娘から「舞鶴線運転再開ににむけて試運転中」の情報。

27日 夫に運河まで送ってもらい出発。娘も同行。

快晴の車窓。富士を撮るつもりが第一回輝け青葉デーへの思いでに入り込む。

当時の音楽の藤田日出男先生(メバチ)を囲んだ教え子達の大集団。
日教組の活動が盛んだったあのころ、ノンポリのメバチはピアノを叩いてカンツオーネを校舎に響かせていた。合唱部や吹奏楽部を信じられない熱心さで指導し、コンテストに連れていって下さった。
高校受験の一週間前は大阪へ合唱コンクール近畿大会に出場。
なつかしい半世紀以上昔の思いで。

輝け青葉の会はメバチの後を音大出のKさんがバトンタッチ。
メバチの弟子達はそれぞれの世界に散らばったが、今も熱心な合唱お宅。

関東のメンバーが参加出来るようにとの配慮か河口湖畔の「合唱の家 おおば」で何度か合宿を楽しんだ事も何度かあった。京都のたんば荘で合宿も重ねた!


無断でアップ ごめんなさいね。... 想い出は尽きない。

昼過ぎ東舞鶴に到着して「あ〜今年も来れた!」と。


駅に懐かしい写真の展示

引き揚船で舞鶴港に帰って来られた人々を迎えた戦後。
小学生だった私は歌や踊りで引き揚げ援護局へ慰問に出かけた。
軍人さん達が検疫や手続きのため2週間ほど留め置かれるあいだ市内の小学生達が慰問したのだった。
私のMusic-Presentはココに端を発するのかもしれない。
我が子を思い出して感涙して抱きしめられた会場の熱気が蘇る。

娘と宿に荷物を置き、ランチ。


私は青葉中学校の音楽室へ。娘は妹の丹後大宮へ。
1:00 からの練習は始まっていた。
地元のメンバーに次々と各地からのOBが加わる。
地元指揮者も同級生のY君。退職後音楽を学ぶ為に大学生になった歌お宅。


4:00〜中学生の合唱部と合同練習。
2時間の休憩。地元の人は一旦帰宅。全国組(各地からの参加者)は気軽なレストランで夕食。
7時からPTAや先生達と合同練習。

翌日の打ち合わせを終わり、ホテルに戻ったら9時過ぎ。
powerful & musicful の一日無事終了。


  

Posted by jun1940 at 10:53Comments(0)舞鶴

2012年10月05日

細川家ゆかりの地

10月3日 母の一周忌。前日に西舞鶴駅前のグランドホテルにチェックイン。
当日 舞鶴の城「田辺城公園」へ行ったことがないottoをさそって早朝散策。
細川忠興築城の田辺城公園や元藩校「明倫館」の明倫小学校など小一時間散策。
細川幽斎の古今伝授にまつわる碑や説明板で古に飛ぶ。


散策の後は昔からのお魚屋さんを覗く。準備中の店に入る。
干物や練り物など見繕って息子達に発送しながら、四季折々海産物を送ってくれた母を想う。


11時すぎ3姉妹と家族が瑞光寺に揃う。

本堂の台上に置かれた焼き物に惹き付けられる。
桃!
本堂の鬼瓦だ。 
屋根の上には桃源郷への鬼の侵入を防ぐ祈りを込めて鬼瓦が配置されているそうだ。
「鬼門」はそこから来たそうだ。
鬼退治をするのは桃太郎... 昔話と宗教のお話をご住職から伺う。
ご先祖の出身の与謝の地や、一色氏、明智氏、細川氏... と歴史へと広がる。
そしてご住職「お玉さん(ガラシャ夫人)は与謝の山中に匿われる前にこの寺に居はったんですわ!」と興味深い成り行きになった。
故郷舞鶴、再訪を期すより、一期一会、感慨深い一周忌だった。




  

Posted by jun1940 at 13:32Comments(0)舞鶴

2012年04月19日

春爛漫の田辺城

積雪で延び延びになっていた母の百か日に舞鶴へ。
実家は人手に渡ることになっているのでホテル泊。
実家の近くに泊るに忍びず、寺の在る西舞鶴駅前のホテルに入る。
町の西に連なる山にかかる朝靄が次第に上昇する幽遠の景色。
早朝。
浅い川に桜が映り、鴨が一羽。


数分歩いて田辺城公園。
静まり返った公園は桜が満開。ソメイヨシノはハラハラと朝風に散る。
老木の少ないながらも花を咲かせている姿に終戦後のこの公園の姿を思い出す。
花見をした公園、サーカスが来た公園、カクレンボやおままごとをした公園...


手入れが行き届いた今日の公園。小さな真白い花を豊かに装っている桜。
小さな小さな白い花。

サトザクラ(八重桜=牡丹桜)は緋色の蕾。

細川幽斎など様々な史跡のプレートを読みながら遠い遠い古のこと、戦後の引き揚げににぎわったころのこと、そしてこの十数年のこと... 思いに浸る。
隣接する明倫小学校から流れてくる早朝練習らしき歌声に現実に一瞬現実に引き戻される。
そして再びこの小学校で朝練をした音楽室が蘇る。



歌三昧の現在のjunjunの源。
半世紀よりも、もっと、もっと前に今の楽しみが芽をだしていたのだ。


  

Posted by jun1940 at 15:19Comments(4)舞鶴

2012年01月26日

合宿→実家の後始末

合宿前日整理しかけた屋内。
合宿終了と同時に整理開始。
実家を処分する事になった。
捨てられないも、思い入れのは入ったもの... 段ボールに詰めローソンの宅急便へ運ぶ。
ottoが描いた新婚旅行の上高地、息子2が祖父母に送った冬景色も梱包してローソンへ。
母の和服、写真... 

誰もいない家のなかでの整理はきつい。
湿っぽくならないようにMDで練習中の曲をガンガン響かせ、一緒に声を出しながら作業。
場違いな曲ほど良い。
イタリア アリア「Quel' la fiamma che m'accende」
『私は炎のように燃え立っている』 
なにやってんだ! とおかしくなる程場違いだが、元気がでる。

丹波篠山でゲットしたお土産も箱に。 
牡丹鍋しなかったので猪のカレー2種をゲット。白い猪? 豚じゃないの?となったがいずれにしても珍しい。


丹波と言えば黒豆。黒豆の落雁ときな粉をゲット。これも箱に。

キャリアーで数回ローソン往復し作業終了。

翌23日 冷えて来た。雪予報。速く帰宅する予定が、工務店や風呂屋さんの手順が時間をとる。 昼前から雪。見る見る舞鶴は白くなる。
2時27分の特急に駆け込む。



牡丹雪。牡丹鍋しなかったから、牡丹雪。同じ牡丹なら鍋の方がよいが。
今夜は積るだろう。遅れなく京都まで戻りたい!

順調に新幹線に落ち着くが、東京は雪。
柏についたら更に雪。
but 無事帰宅。  

Posted by jun1940 at 12:48Comments(3)舞鶴

2011年09月02日

舞鶴 城下町11.8.30

猛暑にメゲズ西舞鶴へ向う。
お盆と言うよりお彼岸に近い墓参。
西舞鶴は細川幽斎が作った城下町。海と山に囲まれた町。
幕末は牧野氏の城だった。
西に連なる愛宕山には各宗派の寺院があり、浄土真宗の瑞光寺は町中に建つ。
一度歩きたいとの娘の希望で寺巡り実行。
JR西舞鶴駅から真っ直ぐ数分で高野川を渡り、愛宕山東麗に慈恵山圓隆寺。

行基さんの真言宗。



子供の頃「ホンドウさん」と言えばこの寺の事だった。
うっそうと茂る麗に奈良時代を思わせる多宝塔を眺める。
行基さんの作詞「ほろほろと〜」が山鳥のサエズリと重なって古刹の甍の天空に響いて来る。

昔通り、ホンドウさんから朝代神社に続いていた。

奈良から更にタイムスリップは天武天皇672年。
いざなぎの命の神社。
終戦後 焼け残った晴れ着を着せてもらって華やいだ初詣や夏祭り。
絽の浴衣がお気に入りで、お正月にもそれを着たいと泣いたが祖母は「あほやな〜、風邪引くし〜」と取り合ってくれなかった。
舞鶴は軍港でもあるので、警報発令となるとリュックを背負って愛宕山麗に掘られて防空壕につれられた。ヨチヨチ歩きの深夜逃避行は居眠りしながら引きずられての避行。

次の大きな寺は桂林寺。曹洞宗の禅寺(1401)風格威厳に満ちあふれる寺院。
近寄り難くて、この寺でカクレンボや鬼ごっこをした記憶はない。
初めて山門をくぐると、静寂の中に憩いの場がしつらえてある。
蓮の実と葉のそよぎをさくらの大樹の木陰で味わう。 

幾つか寺社を割愛して宮津口の牧野家の見樹寺へ辿り着く。
地名「宮津口」とは丹後の宮津への街道入り口を表す。



白い塀の内側で孟宗竹の音がする。
石段は段差が大小で足に微妙なリズムが生じる。
牧野家の馬の調教用に建設された石段で国宝。

寺巡回はこれくらいにして父の眠る町中の瑞光寺へと降りる。
町の区画整理は一応進んでいるが何しろ城下町。道が入り組んでいるので瑞光寺の本堂の屋根が見えてもなかなか辿り着けない。

寺内、竹屋町、紺屋町、二の丸、三の丸、... 意味の分かる町名に心が和む。


時間をかけてランチ。施設の昼食時の多忙時を避けて面会。
母には前夜のマスターの御両親の想い出を語り、野菜をもらったハップニング、西舞鶴の寺社の話をする。
「またくるから〜」と言うと悲しそうにするので、腰をおろして語りかける。

介護士さん達夕方の作業開始らしくなり、辞す。
倉谷口からバスで自衛隊桟橋下車。
造船所や海を眺め、赤煉瓦群の中をあるく。
さすが20000歩越えると疲れが脹脛にくる。
関係者以外立ち入り禁止の駐車場やヨットハーバーを尽ききり赤レンガ博物館の側のCafeへ入る。「お急ぎの方は他所の店へどうぞ」というのが気にいる。
海の景色にボ〜と目をやりながら、店も客も急がないくつろぎの時。
  

Posted by jun1940 at 12:01Comments(2)舞鶴

2011年09月01日

舞鶴 故郷の人情 ’11.8.29

8/29 新幹線を京都で東舞鶴行き特急に乗り換え。
西舞鶴で下車したのは4時過ぎ。暑いが海風の心地よい日影でバスを待つ。
倉谷口から五老が岳の塔を見上げながら登る坂道はさすがに汗だく。
98歳のBirthday-cardと花籠を飾ってもらって母は気持良さげ。
澄んだ目をして、顔色も良い。
昨日は姪が東京から子供を見せにきた。
母には7番目の孫である姪が母には7番目になる曾孫を見せにきたのだ。

娘と代わる代わるする近況報告に目や顔の表情を反応させてくる。

バス停まで下りるが20分待ち。駅まで2kなら〜と歩くことにした。
伊佐津川の土手から稲の香る田んぼ道に降りる。
すると「あの〜!」と呼び止められた。
野菜が実り過ぎているからもらってくれないか?と言うのだ。
旅先だと言っても、娘が引いているキャリアーに目をやり「もらって頂戴よ〜」。
手にした挟みをすでに切る体勢にして。
トウガン、カボチャ、茄、... 食べきれずに畑にころがっている。
辞退しながらも、結局トウガンやカボチャやモロヘイヤを沢山頂いてしまった。



採りたてのトウガンは白い棘が蔓や表面を覆っていてチクチクする。
カボチャは2個も頂いてしまった。
モロヘイヤは食べても食べても減らない。
水に浸けておいたので葉をむしった後から翌日には小さい葉が出ていたのかもしれない。

家の近くの焼きたてパン屋で翌朝のパンと飲み物をゲット。
父のお気に入りの店だった... などと話していたら手作り煎餅一袋オマケで頂いた。

夜は娘が去年1人で入って父の知人らしいマスターから名刺をもらっていた店にリピーター。
御両親とも家族ぐるみでよく知り、マスターの長兄さんは私の同級生だった。
そんなこんなで爺さん婆さん達の想い出に入る。
そして「美味しい自慢の冷酒をどうぞ! 料理に時間がかかりますから」と。

なんだかこんなに歓迎されちゃって! ... と不思議な1日だった。

  

Posted by jun1940 at 11:13Comments(2)舞鶴

2011年05月21日

新緑の舞鶴’11.5.13

5/13 朝 西舞鶴の瑞光寺へ墓参。
地震の被害を免れたこと、家族の健康など報告。
田辺城公園は新緑。ばらは終わり、彩りはないが爽やかな初夏の陽気。
昨日までのあの豪雨はなんだったんだろう?
 

公園の緑の中で線香の匂いを払い落としてから、日赤の母の病室へ歩く。

前日よりはっきり眼を開けて語りかけに反応する。
朝一番で採血検査。たぶん週明けに退院でしょうとのこと。
書類に署名したり、説明をきいたり。

まどから施設の五老ケ岳がみえる。
デジカメしたら青空だが、実際は強風で黄砂満ちた空だった。
本当なら爽やかな五月の空気を入れたいのだが、黄砂がひどいので窓は締め切りとのこと。


個室なのでゆっくり話をして午後を過ごす。

  

Posted by jun1940 at 15:30Comments(2)舞鶴

2010年10月27日

若狭小浜の明通寺2010秋

2010.10.22
6月以来、行けなかった舞鶴へ向う。
ottoも同行し、さらに彼の友達も行く事になった。
5時出発。荻窪でMr.Kをpick-up。順調だった道路情況だったが甘かった!
目的地まで5kmで動きの取れない渋滞。予定より30分遅刻。but 朝のラッシュ時だからまずまずだろう。
中央高速は快適。我らが専用道路。
小牧→米原→北陸道:木之本→琵琶湖湖畔→小浜
小浜で明通寺に立ち寄る。
坂上田村麻呂が建てた寺。
国道から10分程海から離れて山に入ると、鬱蒼とした山中に静かに立つ。
大同8年(806年)堂塔創建。気の遠くなるような世界。
国宝の薬師如来、降三世明王、深沙大将の像を安置。
お坊様に歴史や仏像のお話を本堂で伺う。
屋根の葺き替えの寄進用紙に記入した後、願い事の欄に戸惑った。夫婦で戸惑った。
願い事がありすぎる。余りに切実な事を私事を記入するには恐れ多い気がするのだ。
結局「世界平和」などと立派な事にしてしまった。
そしてお賽銭箱にはもっと小さなチャリン... と音の出るものを投じて、安心して次々と祈願した。
小さな小さな1人の人間の小さいけれど切実な祈りを。



改修後300年の本堂は最近の近代的なチェックで一部のズレも生じていない事が判明とのこと。
ご住職自身が日本の建築技術の素晴しさに感嘆なさっている。
雪深く海風も荒れる日本海に面したこの地の揺るぎない建築。
また天然記念物「かやの巨木」樹齢500年 がどっしりと根を張っている。
木肌に両手をつけてまた祈りたくなった。
私は小浜の古刹が好きだ。
訪問者は少ないが、行き届いた手入れとひっそりとしかも気品漂う寺が多いのだ。
若き日に人生の夢を語りながら一緒に訪れた友を思い出す。
今病に伏している彼女にあとで電話をかけよう...

夕食前に母を見舞う。
おだやかな姿に胸を撫で下ろす。
  

Posted by jun1940 at 18:27Comments(2)舞鶴

2010年06月21日

 第9回輝け青葉デー

2010.6.12 輝け青葉デー から一週間以上経ってしまった。
(「輝け青葉」は舞鶴市立青葉中学校の校歌なのだ。)

今週の演奏会の練習など、唱い狂っているのも理由だが、実は迷っていた。
写真をアップするのはどうだろうか?
全校生の大合唱の写真を前にして迷っていた。
年々上手になり、クラスがまとまり、自慢したいくらい規律、礼儀正しい生徒達にあらためて感激しながら、決心がつかなかった。
 
昨日広島からメール便でDVDが届いた。
ピアニストで活躍している後輩Sさんから当日の嬉しい記録が届いた。
ケースとdiscに貼ってある写真!
これを使おう。さっそく電話で拝借をお願いしたところOK。



夏の暑い体育館での第一回だったが、去年から念願の舞鶴総合文化会館での青葉デーが実現。
難しい年代の中学生がクラスにまとまりを育てて行く貴重な体験を音響のよい会館で発表。
優勝したクラスも惜しくも優勝を逃したクラスも一生の貴重な経験となるだろう。
優劣付け難い演奏だった。
クラスが一体となってどの指揮者(生徒)も達成感と感動に涙している。
どんなに大変だったことだろう。でもみんな成し遂げて熱い体験を焼き付けたことだろう!

OB達も中学時代に培った音楽への想いと友達の輪が半世紀過ぎても生きていることを見せて、
将来の何かの役に立ててもらいたいと願って全国から大集合する。
女性は指揮者の大阪在住のTさん始め音楽の専門家になっている人も多い。
合宿しても各パートでだれかがピアノを弾き誰かがリードしてくれる。
男性達は趣味として唱い続け、合唱団で活躍している。

普通の地方の公立中学校だ。
朝練、昼練、放課後練... 曜日かまわず唱っていた。
受験競争も穏やかな時代。塾に行くからと退部するものもなく音楽室に集っていた。
府立高校の受験日の一週間前に大阪まで近畿大会に唱いに行った。
さすがに車中では受験用の暗記ものを皆で試し合っていた記憶がある。
なぜ???
思い出すのは、反抗期だった自分は中学校の先生達に反抗的だったが、音楽の先生は部員のそのままを抱えて下さっていたことだ。
「な〜、ええやん。一緒にうとたら!まあ入ってうとてみんか〜!」 に誘われて踏み込んだ合唱の世界。
まだ先生がお元気だった頃「声はな〜、一番老化が遅いんや。うとてたら何時迄も唱えるで〜」とおっしゃった声が最近ヴォリュームを増して心に響いて来る。
老化にメゲズまだまだ唱い続けよう。  

Posted by jun1940 at 12:18Comments(4)舞鶴

2010年06月15日

五老ケ岳麓 チシマザサ結実201006

6/10 朝一番で検診結果を聞く。
血糖値は再び安定。悪玉コレステロールは運動で減らせとのこと。
安心を得て東海道新幹線。京都から山陰線で舞鶴へ。
西舞鶴で下車。寺へ歩く。
4月の脱魂遷都後、遷都先の実家の墓地でご先祖様達が一緒になっているのを確認。
お願い事項もあり、父の日を前にカーネーションなどお供えする。
1つ責任を果たした安堵感に浸りながら、母の待つ施設へ歩く。

五老ケ岳の麓の施設。
春に開花していたチシマザサは濃い紫の太い実がビッシリ穂を垂れている。
母と夕暮れの一時を過ごす。


6/11 早朝から母を訪れる。
施設では早朝でも訪問は歓迎されるのでありがたい。
昨日よりさらに気分の良さそうな母。
携帯に添付されてきた孫達の写真を見せて話しかけると反応をしてくれる。
介護士さんと話をしていると聞き取っている様子が眼の動きと表情で伝わって来る。
介護士さんも「いや〜、すっご〜〜〜い!反応してはる〜!」
昼食時までゆっくり過ごす。
一方的に語りかけたり、母の好きな歌を歌って聞かせたりするだけだが。
スキンシップも効果的。

午後は1時から母校青葉中学校の合唱部OB会の練習。
東舞鶴の二条の海岸にある勤労者会館。関東、京阪神、広島など各地から30数名が集合。
送付されている楽譜は各自練習して集合。
校歌「輝け青葉」、青葉中応援歌
混声合唱曲「時の旅人」深田じゅんこ作詞、橋本祥路作曲
     「二度とない人生だから」坂村真民作詞、鈴木憲夫作曲
男女それぞれの合唱曲。女声「Best Friend」
時を経た人生の味のなせる技だろう。詩がじわ〜〜〜っと迫って来る。
若い人からは元気を、先輩達からは「まだまだ唱える!」と勇気をもらう。

 

夕食後 夕暮れの海岸散歩。
大型フェリーの姿が遠くに見える。窓の明かりが灯るフェリー。
近くの岸壁にはボートが夕凪で微動もせず、静かな湾風景。

9時までタップリ唱い込む。翌日の輝け青葉デーに向けて。


  

Posted by jun1940 at 17:05Comments(3)舞鶴

2010年04月24日

舞鶴は春爛漫2010

4/20 小雨。
西舞鶴駅から伊佐津川沿いに下り国道で倉谷口へ歩く。 自然遊歩道になっている土手は満開の桜並木。八重桜。
倉谷口から五老ケ岳に向って坂道を登る。
母の施設。昨日は末妹が訪問した。
担当の介護士さんと治療の件等話を済ませ、母のそばでゆっくり語りかける。
子供達から携帯に添付されて来た写真を次々と見せると、反応して声を出す。
介護士さんに「見えてますし、聞こえてますから、解っていますよ」と言われるので、見せることにしている。
妹が「動画の方が反応がいい」という。

施設の前の山の斜面は青、紫、白のスミレが一面に広がっている。
先月見つけたチシマザサの花はさらに増え、薮の当りが濃紫になっている。
小さな蘂が揺れている。

夢中でデジカメしていたら足下の岩に躓きかけた。
岩じゃなくて筍!
斜面の上は高迫城址の竹林だった。  

Posted by jun1940 at 17:27Comments(8)舞鶴

2010年03月07日

'10_3_2 故郷を歩く

早朝 西舞鶴へ。
懐かしい城下町を歩いて父の眠る瑞光寺へ。
高野川にかかる竹屋橋を渡る。
昔 竹屋が沢山あった一角だろう。二の丸、三の丸はじめ、職人町、紺屋町(こやまち)、... 昔の生活を彷彿させる地名が残っている。
瑞光寺は当然「寺内(じない)」にある。大抵の寺は町の西の山にあるが、瑞光寺は浄土真宗だから町中にある。
竹屋町ではどんな竹が商われていたのだろう?

細川幽斎の田辺城は公園として、藩校は明倫小学校として残っている。
公園は隅々まで子供の遊び場だったが、現在では重要文化財とか、危険とか札が立ち他人行儀のよそよそしさを感じる。
古今伝授の碑が建つ築山の傍の池の周りは椿が盛り。

 

公園を出て少し歩くと教会がある。
細川ガラシャ夫人は歴史に残るクリスチャン。
町には当時教会は在ったらしいが、禁制時代の隠れキリシタン関係の史跡は見つからないらしい。
ガラシャ夫人が匿われたのは丹後半島の山中。
宮津市になるが、宮津にも昔からカトリックの教会がある。
 
舞鶴の教会は友達の親が堂守だったとおもうのだが、この教会の敷地内に住んでいたので楽しいく、神秘的な遊び場所だった。
公園より教会の方が小学生には絵を描くのに楽しい場所でもあった。
唯一の高い建物だった塔だが、いまでは塔より高い建物に埋もれている。
戦後初めて買ってもらった24色のクレパスで写生をした事を思い出す。
想い出に浸りながら午後はゆっくり母と過ごす。  

Posted by jun1940 at 19:47Comments(6)舞鶴

2010年03月05日

'100301_舞鶴は早春

東海道新幹線で京都で乗り換え、昼前に西舞鶴着。
ランチをして母の待つ五老ケ岳の麓へ向う。
リュックを背負って山歩きスタイル。
30分バスを待つより懐かしい町を歩こう。

伊佐津川にはカモメ、鴨、白鷺、ゴイサギ... 野鳥が様々に群れる。
河口近くだからカモメもいるのだ。
ゴイサギが一羽離れて立つ。
橋を渡る度に出逢うその姿はいつも父を思い出す。
「おう、来てくれたか!」と言っている声が聞こえて来る。



倉谷口から左に折れ、五老ケ岳頂上の展望台を眺めながら坂道を上る。
あれっ! 施設の前の笹薮が呼んでいる。
何年も前から度々訪れている施設だが、笹薮が呼んでいるのは初めての事。
背丈以上に伸びたチシマザサが開花しているではないか!

昨年は新年早々から肺炎で入院して、その後次々施設やセンターを回された。
結局5回の移動で以前いたこの施設に戻って来られた。
「お母ちゃん、私にこの開花を見せたかったんと違う?」...などと妄想に浸りながらデジカメ。
数年来竹笹の開花に出逢ってきたが、五老ケ岳の麓で開花を見た事はなかった。
足下には白い昔ながらのタンポポ。
このタンポポをみるとホッとする。

母に笹の開花、タンポポの開花、孫(母には曾孫)達の報告をする。
  

Posted by jun1940 at 18:31Comments(2)舞鶴

2009年09月17日

'9.9.13 舞鶴田辺城の秋



母を見舞った。
西舞鶴で父の墓参の後、古い町並から田辺城公園内を歩き日赤へ向う。
紅葉の始まった櫻。
早春に危機を脱した母だったのだが。
それでも紅葉を見ながら見舞えるとは思わなかった。
また緊急で駆けつけた日は顔を見るのがただただ急がれた。
穏やかな顔を見た後日は紅葉が美しい。
前日の雨模様とことなり透けるような秋空。

人1人の存在の大きさが身にしみる。  

Posted by jun1940 at 19:13Comments(4)舞鶴

2009年04月23日

'9. 舞鶴も春

4/12 湘南国際村センターの合宿を少々早退。新横浜から新幹線で京都へ。
乗り継ぎがよく、9時過ぎに東舞鶴着。

人気の無い実家は春でも寒い。
13日 妹と母の入院先日赤で落ち合う。

東舞鶴駅前も日赤の横を流れる伊佐津川も春。



満開の櫻は一風来る度に花吹雪。
櫻の花弁の中のタンポポ... 春だ。


肺炎で危篤状態だった母は乗り切った。
97歳でよく頑張った! 気持良気に休んでいる。
内科から皮膚科に転科。リハビリマッサージを受ける事になった。
この歳までよく頑張った母。 苦しまないことをのみ祈る。


春爛漫の黄色のタンポポの強烈さより、川辺の白いタンポポの優しく穏やかな風情が心安らぐ。  

Posted by jun1940 at 16:16Comments(2)舞鶴

2009年02月15日

舞鶴は二月なのに

慌ただしい時間が過ぎた。母の入院で故郷往復の間に義姉が逝った。
学生時代東京の義姉の下宿で話し込み、遅くなって泊まり込んでしまったこともタビタビあった若き日々を思い出す。結婚後も転勤族の我家へ東京、大阪、四日市、横浜、流山とどこにでも遊びに来てくれた義姉。
いつも暖かく受け入れてくれた義姉だった。
一度だけ怒ったのは、「私は嫁だから」と何かの拍子に言った時だった。
「あたしは嫁さんだなんて思ってないよ、姉妹じゃないか!」と怒った。
想い出に浸りながら、また舞鶴へ向う。

1月下旬に積っていた雪はすっかり消えた。



西舞鶴駅の東側に流れる伊佐津川も春。
川を渡った所に日赤病院がある。
橋を渡る度に半世紀以上昔を思い出す。
護岸工事もない自然の土手は子供の天国。
降り積もった雪のスロープで毎日暗くなるまでスキー場。
竹とミカン箱で作ったスキーやソリで遊ぶ。
塾も教育ママもいない世界で遊びまくった子供時代。
小さいが立派に朱が塗られたお稲荷さんは素朴な気がつかない程のお稲荷さんだった。

昔話が多くなる.... これは老化現象だ。

携帯に送られて来た2人の孫の写真を母に見せる。
見せて話しかけると、相づちを打ってくる。
曾孫は母にもエネルギーを届けてくれるみたいだ。
後ろ向きより、前向きが楽しいのだ!
 



雪の全くない舞鶴の二月!信じられないほどの暖かさではないか!
東舞鶴駅からの三笠山には「竹の秋」。もう春になっているのだ。
12〜3月は大抵雪景色だった。卒業式にも雪が舞った。

  

Posted by jun1940 at 11:17Comments(8)舞鶴

2009年01月27日

故郷は雪 ’9.1月

1/20 施設にいる母が肺炎で18日に日赤に入院。
新幹線を京都で下車し、山陰線で舞鶴へ。
車窓は雪景色。病院の窓からも雪景色。
暖かい部屋でなんとか危機を脱したらしい母が眠っている。
二月末に姪の結婚式。「Tちゃんの花婿さんにおうてやってね〜(会ってね)」など母に話しかける。◎◎の入学、卒業、○○の結婚、○○の出産、 ... 私たち3姉妹は母に次々と逝ってはいけない理由を挙げ続けて来た。歳に不足はないけれど、今回もまた立派な理由がある。



東舞鶴の駅前にも雪が残っている。
朝夕の冷え込みで凍り、数センチの日影の雪はなかなか消えない。
住宅地に入ると除雪したものが1〜2mの小山になっている。
日赤は西舞鶴にある。舞鶴は小さな市だが、軍港だったお陰で医療施設に恵まれている。
日赤もその1つだ。
21日は早朝 電車で西舞鶴に向う。母に頼むだけでは足りない。
西舞鶴は細川幽斎の田辺城がある。町の西側の山には各種宗派の寺が並んでいる。
そして神社もある。
駅に近い朝代神社に神頼みをしよう。
この神社の裏山でもよく遊んだものだ。山伝いに歩くと次々と寺に行き着く面白い遊び場だった。


大きな社だったはずが、こじんまり小さくなってしまっている。
子供には大きな存在の世界だったのだろう。
竹薮が残っていたのにはグッと熱くなる懐かしさがこみ上げる。
しっかりとお祈り。

神社だけでは足りない。



父の眠る瑞光寺へと歩く。浄土真宗だから山ではなく町中にある。
雪が残る静かな寺。

雪の残る町は寒いが歩くと暖かくなる。
日赤に着く頃は汗ばむ程になり、話しかける声にも力が入る。

23日夜流山に帰る。

  

Posted by jun1940 at 16:12Comments(8)舞鶴

2008年09月29日

お彼岸の五老ケ岳 ’08,9

お彼岸に舞鶴に向かいました。
先ずは五老ケ岳の麓の母を見舞いました。
ホームから五老の頂上の展望台が青空に白く光っています。
目の前に彼岸花が数本真っ赤に彩っています。



こんなに快晴の爽やかな日なのに!
施設内は何だか「院内感染」の予防で個室に入れず、面会用の場所にベッドごと運ばれて来た母に逢う。
まだ父が亡くなったことは話していない。

母には家族のこと、姪や甥達のこと、 コチラから話しかけるだけ。
それでも時々涙を流して言葉にならない声を発してくる。
曾孫の写真等見せながら。携帯に送られて来たホヤホヤの曾孫の画像を見せる。
来春結婚予定の姪の話をして花婿さんに逢える様に頑張っていてね...などと。

そして五老の麓の季節の花を報告する。
 キンミズヒキソウが咲いていた。

ヤマゴボウが熟れていた。

ハギの一種だと思われる花と実。豆ができていた。
ヌスビトハギにしては豆が長い。

花の画像を開きながら話しかける。
植物が好きだった母だから、きっと教えてくれただろうに!

仕事をしていた母は忙しくてゆっくり母子の会話をする機会がなかった。
今は一方通行だけれど、昔はこんなにたわいもない内容を話し続けることはなかった〜 などと元気な頃を思い出しながら話す。

近くの伊佐津川に白鷺の親子が遊んでいた。



でも、この写真は見せなかった。
ホーム→ 伊佐津川 は父の眠る瑞光寺の方向になるから。  

Posted by jun1940 at 14:31Comments(9)舞鶴

2008年08月03日

新盆帰省 & 由良の戸

7/29 集中豪雨の関西へ帰省。
夕方西舞鶴で途中下車。重い雲を危惧しながら五老ケ岳の麓の母の施設に向かう。
伊佐津川の土手の柳の大木にゴイサギが一羽止まっている。
翌日、父の新盆の施餓鬼法要の為の帰省。
ゴイサギの姿が父に見える。


強い降りになり、止み間を待って母とゆっくり時をすごし、東舞鶴の実家へ向かう。

7/30 予想外の快晴。連日35~38℃を記録していた舞鶴だが、湿度も少なく気温も32℃前後。


近代的な駅舎に「引揚げ港ー舞鶴」の面影は残っていない。
姉妹と連合いは瑞光寺で法要と墓参。
その後、妹の夫の運転で丹後へ走る。父亡き後の諸々の手続きのため想い出やこれからの事を相談しながら向かう。


由良川の河口「由良の戸」は絶景。
流れが早く、水中は渦を巻き昔はよく海水浴客の事故が起った。
 「由良の戸を 渡る舟人 舵をたへ、行方も知らぬ 恋の道かな」 有名な歌である。
少し離れると美しい白い砂浜は素晴しい海水浴場。
子供の頃の海水浴風景を思い浮かべたが、人影は疎ら。 子供達は今は海では泳がないのだろうか?

想い出話にふけりながら河を渡る。  

Posted by jun1940 at 17:22Comments(6)舞鶴