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2009年12月30日

2009 第九で〆






今年も第九で〆!
30年程昔、第九に誘われて唱ったのが初体験だった。
音も言葉も夢中で覚えた初回。
それでも毎回初体験がある。
四日市市民コンサートが出発点で、遠くはウイーンの楽友協会ホール。
今年は池袋の東京芸術劇場。初めてのホール。
そして 初めての指揮者ゲルハルト ボッセ! ベーレンライター版の楽譜も初めて!
眼から鱗! 新鮮な感激的な第九だった。清らかな思いにつつまれた。
飽きずに第九コンサートが繰り返されているのもなるほどとうなづける。

チケットが完売で満員御礼の札が立ったのも初体験。
市民コンサートでは参加者がチケットを知人に配りまくる満員だが、City-Phil はプロ。
チケットぴあで 完売は日本の楽団のクラシックでは珍しい。

溜った楽譜を探したら、とりあえず4冊出て来た。もっとある筈だが〜。
ドイツ語のマエストロ、奥様の同時通訳で練習。
あ〜、ドイツ語が解ればどんなに良かったか!
初回第九でottoが学生時代使った辞書と参考書を譲り受けたが、英語とは異なる言語に手も足も出なかった。名詞が大文字で始まること、発音も聞き慣れないことなどに驚いた。
毎回「今年こそはドイツ語を〜」と繰り返すが、挨拶表現を覚えて第九が終わってしまう。

指揮者に寄って発音にこだわりがある。表現にもこだわりがある。
楽譜によって音も異なる。これは私には最大の不思議。
Shakespeareの作品で版によって台詞が違えば大事だろう!

毎年自分の情況は異なる。
一年を思い起こし、今年程「歓喜の歌、歓喜への熱望」を唱い上げたことはない。
家族の一人一人、友人一人一人を思い浮かべ、こうして舞台に立てた事への感謝でいっぱいになる。
水戸から義弟が2人、そしてottoと娘がきてくれた。
親族に自分の道楽を見守ってもらえる最高の幸せ者だと感謝!

多事多難の歳だったが、こうして晦日を迎えられたことに感謝あるのみ!  

Posted by jun1940 at 09:49Comments(6)音楽

2009年12月28日

伊豆:名無し会山行36回−3「ブシュカン」

今月初め深大寺を訪れた。名無し会の下調べが目的だった。
昼食に入った水神苑の庭に見た事もない大きな柑橘類がなっていた。
花の仲間と行ったので珍しい植物には眼がない。
1人がフロントへ聞きに行ったところ「新種で名前はありません。観賞用です。」との返事。
帰宅後仲間は「シトロンだろう!」「ブシュカンだろう!」...と調べ、結局「ブシュカン」に治まった。
眼に焼き付いたおおきなレモンのようなザボンのような分担のような柑橘類。



そのブシュカンに伊豆下田の了仙寺で再会。
和親条約締結の場所となった寺。
名無し会の下調べで別の仲間と訪れた深大寺で初対面のブシュカンに、今度は名無し会の山行の伊豆下田の寺で再会するとはまさに奇遇。
ガイド嬢がいうには観賞用で食べられないそうだ。

漢字は「仏手柑」でブシュカン。
「仏の手」とはなんとありがたいこと!
実を切ると仏の手に見えるらしい。
神仏にすがりつきたいことの多かった一年。
仏の手に期せずして出逢ったことに温かい火が灯された思いがする。
物忘れの激しい近年だが「ブシュカン」は決して忘れないだろう。
  

Posted by jun1940 at 12:25Comments(4)名無し会

2009年12月26日

伊豆:名無会山行36回−2

12/19 時々揺れを感じはするが穏やかに朝日が昇る。
7:00 日の出をとらえようと部屋からベランでへ出る。


8時過ぎホテル出発。駅に向う。伊豆下田へ。
観光バスで効率よく歴史探訪することになった。
バス発車までの時間を有効に利用すべく、ロープウエイで寝姿山山頂へ。
山頂から伊豆七島のパノラマを楽しみながら30分ほど散策。
バスはお吉の眠る宝泉寺、日米和親条約締結の了仙寺、吉田松陰が奇遇した村山邸、観光船での湾巡り...盛りだくさんに廻る。
爪木崎は水仙の自生地。一面の水仙も素晴しいが朱色に花開く木立アロエに惹き付けられた。

 




黒船に驚いただろう人々、江戸ばかりでなく日本の各地から禁を犯しても見に来た人々...
歴史をみんなで語りながら時を過ごす。
歴史も興味深いが黙して浸っていたいのは自然の姿。
海を見て育ったからだろうか?
海の碧には身が引き締まる。
荒れた海の恐ろしさ、地震の後の津波の恐ろしさ... こんな恐怖が潜んでいるから、この穏やかな海面に吸い込まれる。
コートのボタンをかけフードを深くかぶって風に向って海の碧に浸る。

  

Posted by jun1940 at 19:08Comments(4)名無し会

2009年12月24日

伊豆の山:名無し会 36回山行1

平成14年秋に始まった高校時代の仲間の山行。
36回目は一泊で伊豆の山を歩く予定だった。
12/18 〜19
18日上野発7:30のバスに乗るべく早起きしたら、TVは伊豆の地震情報。
とりあえず上野に向う。予定通り出発。旅行社に変更はなし。
名無し会参加者10名(5M+5F)はそれぞれの出発点から乗車。
頻発地震に何の怖れも無く参加した自分に危機認識不足?とはおもうが、快晴の長閑な旅開始。

昼に熱川のホテルにチェックイン。
小室山ハイキングの予定だったが、寒波と強風に怖じ気づき手軽にバナナワニ園へと歩く。
バナナワニ園に嘲笑めいた空気を抱いて坂道を上る。

 




温室の熱帯植物に惹き付けられ、嘲笑は何処とも無く和らぎ、鰐やレッサーパンダやオウムを相手に童心に帰っていく。
日常に追われて、童心を失っていた。
それぞれが老いと共に気がかり事を抱えて童心を奥深くしまいこんでいた。
「おはよう!」と声をかけると「バイバイ」というオウムと戯れる事しばし。

珍しい数々の植物に外の寒波を忘れる。
街で果物として見かけるスターフルーツが大きな木に鈴生り。
20年程昔 台湾でもらったフルーツ。食べ方が解らなかったフルーツ。
美味しさも解らなかったし、今なお解らない。
なんだか懐かしい人に再会した気分になった。  

Posted by jun1940 at 15:20Comments(4)名無し会

2009年12月21日

養老渓谷の竹林’9.12.13

冷え込みの激しい朝。
青空が広がると次第に温かくなり、娘と養老渓谷へドライブすることになった。
ネットでルート検索しコピーした地図片手に娘が助手席でカーナヴィ。
私の軽にはナビは付いていないのだ。
昼頃養老渓谷入口近くに到着。峠の竹林の中に一軒の民家在り。
蕎の看板に惹かれて入る。
客の話で有名なこだわりの蕎麦屋と判明。



美味しいお蕎麦で腹ごしらえをして渓谷へ。
近道をしようとしたら山の中の畑で行き止まり。
迷いながらもなんとか渓谷入り口の駐車場に止める。
迷いの途中で「あれっ!」細めだが四方竹の竹林。
車だと止めてデジカメしづらい。止むなく通過。
ココにあるなら、又どこかにあるだろうと期待したが、再度見つける事はできなかった。

渓谷は少し紅葉が残り静寂。
日曜だが客は疎ら。
渓谷遊歩道を全部歩く人はさらに少ない。たま〜に人に逢い、2人でノンビリ歩く。
 




竹薮があるとつい覗き込む。
歩いているのでじっくり覗き込む。
覗くと出会いが訪れる。
久々に珍竹林 つまり 布袋竹の竹林。
節間が縮んで短くなっていたり、不均等に変形して亀甲竹かと思われるものもある。
千葉県は竹が多かったのだ。
また竹笹巡りもいいな〜と、春の野山歩きをしてみよう。
程よい歩きで帰途に着く。
往路で見つけておいた直販市場に立寄。
どっさり野菜をゲット。


  

Posted by jun1940 at 16:20Comments(5)竹笹

2009年12月17日

’9.1210 深大植物園ムツオレダケ

12.10 冷たい雨が一転し、快晴のうららかな師走。
友人に案内を頼んでいた深大寺散策。
植物園入り口に11:00集合。姦はデジカメ片手に植物園の外を一周。
紅葉は見事!
 

隈笹と紅葉の取り合わせはことのほか美しく、陽だまりでしばらく雰囲気に浸る。
いかにも和風の取り合わせに心が落ち着く。

深大寺は学生時代に訪れたが、その時は静かな田舎のお寺とお蕎麦やさんが逢った記憶のみ。
数年前に娘と新蕎麦を食べにきた。余りに観光地に変化していて驚いた。
植物園に入るのは初めて。
竹笹コーナーがあると知っていたら、もっと早く来ていたのだが!
まだ見た事のない竹にムツオレダケがある。
竹笹より花が好きな2人なのだが、竹笹へ付合ってもらう事にした。
そこで「ムツオレダケ」に出逢った!
何で珍しいの?と聞かれ、ここぞとばかり説明開始。

しかしもっとクッキリと節ごとに稈が折れていると想像していたのだが。
これくらいな「折れ」なら時々見かけるのでは?と思ってみたりする。
しかしムツオレダケと命名してあるのだから植物学的に普通の竹に見られる「折れ」とはちがうのだろう!
久しぶりの竹笹コーナーをゆっくりと時間をかける。
コーナーでない薮の笹にも「アズマネザサ」など札が立っているのはさすが植物園。
札の傍に竹も笹もないのは???と思っていたが、竹笹観察人さんのコメントに「枯れていた〜」とあったので納得。
開花時期にまた来てみたくなる。

広場のコウテイダリアが眩しい。
コダチダリアと書いてあった。
茎が竹に似ている!

花の仲間との深大寺散策だった。  

Posted by jun1940 at 10:04Comments(4)竹笹

2009年12月14日

’9.11.27.日吉紅葉

11.27 慶應の日吉キャンパスの銀杏が黄色。
    昼過ぎ京都のバアバとバトンタッチ。
  
前日26日もチビコと散歩。
キャンパスで女子学生が数人でビニール袋を片手に積った銀杏の葉の中でギンナン穫り。
訳も無く懐かしく、嬉しくなる。

チビコは木の葉や草花を拾うのが大好きだが、ギンナンに興味は無い様子。
次々葉っぱを拾う。捨てると嘆き悲しむ。時には怒る。
多くなり過ぎと「この葉っぱはお家に帰りたいみたいよ。返してあげようね」と相談する。
根元や枝を探して「ここなら良いかも〜」と自分で置いてさよならする。

この日は持ち帰った葉っぱで嬉々として紙になにやら描いて葉っぱを一枚糊付する。
アヒルさんを作っているのだそうだ。
部屋中にアヒルさんが無数に散らばった!
まだまだ絵画とはならないが、1つ1つ表情があり見ている方も引き込まれる。
紙面いっぱいにはみ出しそうなアヒルさん。
のどかなこころが伝わるあひるさん。
お母さんは記念に取っておくのは何れにしようか〜 と目移りしている。
ギャラリーの一夜!  

Posted by jun1940 at 12:13Comments(5)family

2009年12月12日

日吉の丘の熊野神社

散歩道開拓で1人散策。たまにはチビコとお母さんにして。
日吉の丘を反時計周りに歩いてみた。
慶應の正門の反対側に神社があった。静寂の「熊野神社」。
山門前にスズコナリヒラの竹林が美しさに誘われた。
この丘には竹林が多いが孟宗竹がほとんど。
スズコナリヒラの竹林そのもが珍しくデジカメゲット!


更に登ると慶應の部活のコートに出た。道が切れた。
正門に出る道を学生に尋ねると「けっこうありますよ。階段がありますよ。厳しいですよ!」
マイナス思考助言が続く。
バアさんの道じゃないのかも〜、と思いながらも、教わった道、道なき道を上り下り。
やっとテニスコートに出て階段を登る。
キャンパス案内版を見つけた。
なるほど学生が躊躇したはず!「マムシ谷」など恐ろしい名がついていた。
これではチビコは連れて来れない。
とんでもないお婆さんだった!

次の日 お母さんのオゴリ付きでチビコと正規のルート散策後、大学のコーヒーショップでお茶をする。
チビコは広いグランドでお兄さん達がボール蹴りをしているのを見るのが大好き。
おしゃべりしながらお兄さん達の姿を追いかける。

  

Posted by jun1940 at 12:07Comments(7)family

2009年12月08日

なが〜〜い き の こ



秋が過ぎ、柊に白い花が咲きだした。文字通り冬の季語のヒイラギ。
葉の棘が痛いので「ヒリヒリ痛む=ひひらく 疼」の柊。
もう冬になっていた。
毎日チビコとお散歩して自然の移り変わりを眺める。
幼いながらも 大人の中に入って会話をする。
 
2人のバアバと夕食をしているときのこと。
お話はしてはいるものの、2人のバアバは心ココにあらずだったのだろう。
大きな声で「ねえ、ねえ、バアバ〜、聞いてよ!」と2人の注意を引く。
そして「私はね〜、ながあ〜〜い き の こ が大好きなの!」
2人は同時に「ながいきの こ?」と同様の反応をしてしまった。
「ちがう〜ってば、ながい き の こ」
チビコのお箸にはえのき茸が揺れていた。
「長生きの子」と取ってしまった2人は「長い 茸」とイントネーションを直された。

そして 思わず爆笑したら、笑いが止まらず涙が出る程笑い続けた。
以来 冷蔵庫にはえのき茸が欠かせなくなった。
そして 食卓に載せる度に「なが〜〜い き の こ」と声に出すようになった。
おうどんのようにツルリと呑み込むと喉にひっかかるので短く切ろうと思ったが、やはりその名の通り長いママでだす。
そしてヨクヨク 噛みしめようね と。  

Posted by jun1940 at 22:46Comments(5)family

2009年12月07日

チビコとの通院

月曜日から「後3つネンネしたらおかあさんが退院よ」、「後2つ...」、「後1つ...」と数えながら。
解っているようで解っていない不思議な会話を交わしながら規定のルートを辿る道すがら。
何でも「自分でする〜」で始まる。「はいはいどうぞ!」


自宅から日吉駅までに欠かせないのは途中の池の鯉にご挨拶。
階段に腰を下ろしてのんびりと鯉遊び。
毎日の往復で出来る様になったのは電車への乗り降り。「自分で〜」とオオハリキリ。
センター南から病院は数分だが、そうは行かない。
目の不自由な人の為のタイルの道は格好のルート。
ガッタンゴットン〜〜〜と電車と踏切のお遊びで30分は掛ける。
バアバも童心に帰ってガッタンゴットン。

お母さんに逢うと次々と報告する。
Day-roomでお母さんと一緒にお弁当。
お母さんのお食事は少しづつ変化しているようす。
ゆっくりゆっくりランチする。
ユトリが出たのかチビコの言葉遣いを直したり、叱ったり褒めたり... 母子の対話に引き込まれる。

ジイジがきたり,お母さんのお友達がチビコのboy-friendを連れて来たりして一日過ごす。

夜はいつも大好きなCD「ピーターとオオカミ」をかけて絵本を見ながら寝るのだが、音が出なくなった!
お父さんがクリーナーをかけてみたが音が出ない。
がっかりしたチビコだが、もうすぐお母さんが帰って来るから...。

退院の木曜日。
お父さんとお母さんと両方と手をつないで飛び跳ねるチビコの姿。
お母さんとチビコの待望のサーティーワンでアイスを選ぶ時の幸せ一杯の姿!
2人ともよく頑張ったね。  

Posted by jun1940 at 17:50Comments(2)family

2009年12月06日

'9.11.16. 退院知らせるmail

母の見舞いと同窓会をすませ、16日は早々に始発特急で舞鶴を後にする。
そして早々に入院中のKさんから退院が早まったとのmail。
虫の知らせとはこのことか!
新幹線を新横浜で下車しセンター南の病院へ向う。
少しづつ回復しているKさん。
「周りの過剰な心配が困るんです」と術前に言っていたKさんに乗ることにした。
前を向いて頑張ろうとしているのだ。バアバがあれこれ足を引っ張ってはいけないのだ。

Day-roomでチビコはおかあさんと2人のバアバにかこまれご機嫌。
本日からバアバのバトンタッチで交替。
京都のバアバがいなくなって少し寂しくなったが、ほどなく流山のジイジ出現。
また楽しいチビコに。
楽しいチビコはKさんに最高の良薬!


Kさんが部屋に戻るとチビコは1Fの書架に通う。
一冊選んで7FのDay-room に運び、「読んで」〜を数回繰り返す。
そしてまた1Fへ。
夕暮れの「バイバイ」は寂しく、一日の疲れがでるチビコ。
又明日ね。約束して地下鉄に乗る。
  

Posted by jun1940 at 11:07Comments(4)family

2009年12月05日

'9.11.15 卒業50周年記念−青葉山

登山開始で時が止まってしまったが、やっと出発進行!
松尾寺本堂の裏の登山口から。
登山者名簿を登山口の届け出ポストへ。
子供の頃は届けたりしなかったが、結構事故があるのだろうか?
修験道だった青葉山。修験者たちは届けたのかもしれない〜なんてフト大昔に思いを馳せる。

692mの青葉山西峰を目指す。リーダーNr.U を先頭にか弱き女3人が続き、サブリーダーが殿。
舞鶴からは西峰と東峰のラクダの山だが福井県に入ると両峰が重なり秀麗な若狭富士。
前日までの雨で足場ば危惧されたが懐かしく心地よい山行となった。
 


蒼に映える紅葉を愛で、岩に這う小さき実を愛でる。
散る前の美しい装いに熱い喝采を送りながら歩く。
前後に歩む友と語るのは昔ながらの声。声は歳をとらないのだ。
顔は見ないで語り合うのは時の流れが渦を巻く不思議な空間。

今 嬉々として楽しんでいる趣味を語る声は又格段と輝く響き。
山の話題になると「連れて行って! 誘って!」と言いたくなる。
年季の入った山男にしたら「えらい迷惑やな〜」かもしれないが、身の程を忘れて弟子入り願望になる。

そして 麓の村を見下ろしては想い出にひたる。
上がるに連れて舞鶴湾がさらに広い若狭湾が眼下に広がる。


山頂の祠の周りは美しいチシマザサ。葉裏ツルツルを確認し、祠の裏の展望台に登る。
死火山が納得出来る溶岩のゴツゴツ岩。
広がる眺望! 能登半島も見えるかな?

祠の前でお弁当。
参加者19人(3f+16m)。貴重な姦の1人。
19人の為にホットは紅茶とケーキを振る舞う山男あり。
なごやかな談笑後下山。

松尾寺 → 西嶺 →今寺 →松尾寺 の行程。
今寺の手前で竹林に入る前に見慣れぬ景色あり! 笹原に丸く刈り取った後!
地元山男曰く「猪害対策」 ここに水浴びしたりころがったりすると麓への害が減るとのこと。
さらに聞きたかったが、笹原の猪用遊び場に関心のあるのはjunjunのみ。
デジカメでゲット。
画面をクリックして大きくしてみて下さい。

入念な企画をたててくださった幹事さん達に感謝!  

Posted by jun1940 at 12:15Comments(4)山と植物

2009年12月02日

'9.11.15 卒業50周年記念−option

11.15 50周年記念の同窓会に引き続き翌日は3コースのoptionに別れて行動。
1:青葉山トレッキング 2:ゴルフ 3:舞鶴市内観光
もちろん1の青葉山トレッキングに参加。
参加者18人中 3人が女性。関東地区の名無し会の姦。
695mの死火山。
京都府と福井県にまたがり舞鶴側からみると西峰と東峰の2峰が並び福井からは2峰が重なり若狭富士と呼ばれる秀麗さ。
708年(和銅元年)から続く松尾寺が中腹に在り、霊験あらたかな修験道修行の場でもあった。
西国第二十九番札所である。


子供の頃から幾度も訪れ、登った故郷のお山である。
車で寺まで来る様になったのは何時頃だろうか?
麓から歩いて寺まで登るのが一仕事だった。
メンバーはマーレのマイクロバスで松尾寺に向う。
本堂で御参りし、ご住職「松尾心空さん」のお話をうかがい本堂の貴重な宝物を拝見。

友のクーちゃんはご先祖様の絵師の作品が屏風になっていると親族に言い伝えられているが見た事がないとのこと。
ご住職は奥の方にある屏風をクーちゃんの手を借りて持ち出して下さり、貴重な拝見が出来た。

ご住職は父と昵懇にして頂いていたので生前のお礼を申し上げる機会が得られた。
数年前父の「まつのうさんへ連れて行ってくれ」との言葉にこの寺までドライブした事など思い出した。
元気にご住職とアホグチをかわしていた声も響いて来る。

トレッキングに思いがけないサプライズ付きとなった。

松尾寺宝物殿第三回秋季展観の招待券を頂き、無事下山して後ゆっくり拝見することになった。

装備万全の山男姿のMr.Eのリードで準備体操。
リーダーMr.U の後をついて登山開始は先ず鬱蒼たる竹林から。


   

Posted by jun1940 at 11:58Comments(2)記念行事

2009年12月01日

’9.11.14.卒業50周年記念

50周年になんで竹炭?
しかし竹炭なのだが、50年は長くて短い。
半世紀を経て共に学んだ友が1/3以上、海を超え九州、沖縄からも大集合した。
4人の恩師を迎え感慨深い大集合だった。



世話役さん達の創意工夫で友の展示や日本舞踊... を含む大々的な会となった。
万葉の研究家として活躍中の友の講演で会は始まる。
「万葉のこころ」と題するお話。
さりげない人の心を読んだ歌についての講演だが、この歳になるとジンワリと心に滲みて来る。
互いに思いやる心を読んだ歌「つぎねふ 山城道を〜」で始まる夫を思いやる歌だが、「枕詞」の「つぎねふ」は「二人静」とのことだと知った。
あらためて調べてみると「1人静:二人静:花筏」のことらしい。
山でこの花々に逢うと必ず足を止めるものだ。
今後は枕詞とこの50周年記念の想い出を重ねて足をとめることだろう。

机を並べた仲間、数人で集まって勉強した仲間、人恋うる痛みを語り合った仲間、...
病に伏していた孤独の時に支えてくれた友...
みんなに「ありがとう!」と言いたい。

恩師の1人、体育の先生にはとりわけ想い出深く、自分が教師になった時に問題の学生がいると思い出す温かい教師の心を教わった。
終戦間際のドサクサでまともに教育も受けなかったあかん(ダメな)教師やったのに、よう覚えていてくれたな〜 と反対にお礼をいわれてしまった。その想い出は....  続きを読む

Posted by jun1940 at 10:12Comments(7)記念行事