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2011年11月26日

運河の土曜市 '11.11.26

運河の土曜市だった。
運河土手を江戸川に向って歩いていたら、土曜市だったのだ。

我家の周辺は目下下水道工事で連日終日揺れている。
庭の南天も電柱の蔦も真っ赤に染まって工事の成り行きを見ている。






今朝も早々に工事の騒音を逃れてwalkに。今日も江戸川に向う。
実は昨日運河walkを江戸川に向っていたらバードウオッチのオジサン達が観察している。
聞いてみるとカワセミ観察だった。
一緒になって青く光るカワセミみ目をこらす。

今日は絶対にデジカメ持参で... ottoも誘い出して昨日の場所に向った。
画像をPCに開いてみたが画面の上を拡大鏡で隈無く探しても見つからない。
大きな望遠レンズで長時間待ちつづけているウオッチアー達。
私の小さなデジカメでゲット出来る筈ないのだ。
ゴイサギ、白鷺大,小、鴨、セキレイ、そしてイソシギも。
鷺や鴨はゲットできるのだが。

対岸で運河の土曜市を開いていた。
近郊農家の産物、流山の味醂、酒。流山の姉妹都市の相馬市のテント、高校生の木工や焼き物
テントを覗いているうちに野菜や味醂、荷物が増えて行く。

夕暮れで本日の工事は終了。
今夜は味醂で煮物をしよう!
ノンビリした一日だった。

  

Posted by jun1940 at 18:35Comments(9)利根運河

2011年11月22日

明るい響き’明響’

演奏会を控えているというのに引きこもってしまっていた。
声もまともに出ない!
Duet の相棒と伴奏者の音楽室で、ある雨の日、ピアノに合わせて歌う事になった。
Duet 練習後、
「何か歌わない!」と勧められる。
そして「肩を下げろ! 飛び跳ねて! 口を縦に!...」と口々に言って 
「そうよ、声が柔らかくなった...」とか励ましてくれるのだ。
アリア Tu lo sai を思いっきり歌ってみた。 F♯ も出た!
感謝で泣きたくなった。 そして「歌おう!母からもらった声を大事にしよう。」と。
チェンバロを聴いた後、弾いてもいいと言われ、平均律をトツトツと弾いてみた。
     ♫ 音楽ッていいな〜 ♫ 

11月20日は混声合唱団明響の第二回演奏会。
しばらく休んでいたのに、先生と仲間の温かい迎え入れに感激。
「19日の練習時にデジカメ持参」のメールがきたのだ。
訳がわからないのだが、団で私はライブラリアン。カメラマンも仕事らしく必要時はいつもデジカメを持参する。
デジカメの充電をしながら、ロスタイムを取り戻るべく楽譜を開いて自分自身も充電。

11/19 久々に出た練習はソリストと合唱団が向かい合って練習。
対面で歌うのは初めての経験。ソリストの声はいつも背中の声を聴いて来た。
互いの表情、呼吸 ... を肌で感じながら、最高の練習だった。
テナーのソリストは藤丸崇浩先生。東京City-Phil-Chorの合唱指導者。
先生の声を2〜3mのところで聴きながら唱うのも感激中の感激だった。
Duet 気分の感激。
 
11/20 Chor の仲間が30人近く来て下さった。そしてアンサンブルの仲間もottoと娘も。感謝、みんなに感謝。そして声をくれた父母に感謝。



パンフレットの裏表紙は紺碧に白抜き
    明るいひびき
      温かいひびき
     きっとつたわる
       こころのひびき
           ...  明響
           

Mozart のVespererae sorennes de confesssore KV339
Rutter の Magnificat

美しいモーツアルトを祈りを込めて唱い、ラターはグレゴリアン調からポップ調を楽しむ。

友からの薔薇が窓辺で香る。
どの花束もオレンジと黄色の暖色。
温かい香り、色、響き!
 
            
  

Posted by jun1940 at 12:18Comments(6)音楽

2011年11月07日

Tomorrow Never Comes

10月29日 大学時代のクラス会が卒業以来続いている。
今年は記念すべき歳でもあり、各地から集まり懐かしい一時を過ごした。
その夜 ottoが友人からmailを受信した。彼は一緒にモーツアルトのレクイエムを歌った友だ。
今日が最後とわかっていたら... と言う詩だった。

 http://www.youtube.com/watch?v=8bTnp9ETuEs

  http://marilynshideaway.com/tnevercomes.html

仏教の「白骨の章」に通じる詩だ。長い長い詩をスクロールしながらこみ上げてきた。
そして 「明日母に逢いに行こう!」と話していると電話が鳴った。妹からだった。
母の状況を伝えて来た。
明日は舞鶴に行く! と決めて準備を始めた深夜「母逝く」と報せが入った。
30日 ottoと娘と3人で中央道→北陸道 と走る。途中携帯で親族と連絡を取り合いながら。

こんなにも穏やかで美しいと母を思った事はなかった。
曾孫3人の無事出産で妹達がホッとした矢先だった。
孫が曾孫を見せに行くと喜びを表した母だった。
お通夜も告別式も幼稚園年長さんを頭に8人の曾孫はお祭りであり、運動会であり、転げ回り駆け回る。斎場もお寺の本堂もあった物ではない。
母は笑って感じているだろう、自分が曾孫達の身体の中に生きている事を。

お世話になった安寿園と蒼穹の空にそびえる五老ケ岳に別れを告げる。
母は大正2年生まれの98歳だった。
足下には白い日本タンポポが咲いていた。


流山の庭に今にも散りそうな山茶花が一輪待っていた。
歳に不足はないけれど...
  

Posted by jun1940 at 11:25Comments(4)family