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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2014年07月23日

2014エストニア&ラトビア合唱満喫の旅9古城&十字架の丘

ツアー離れ6人の自由旅。ラトビア人の英語ガイドでルンダーレ宮殿に向う。
Mr.ガイドがルンダーレの手前に古城があるが、興味あるか?と聞くのでもちろんOK。
観光ツアーでは決して見る事もない荒れ果てた城。Kaucminde Pils.

観光地にするにはお金がかかるので放置状態。危険だから触るな、入るな... を聴きながら興味津々。
買いませんか?...二束三文。買う事は簡単だが、維持管理は不可能と断って、笑い声が古城に響く。

Mrは歴史の話でいいか、何か質問あれば言ってくれと前置きしながら矢継ぎ早に話す。
ソ連の圧政下でいかに苦しかった... が始まると止めどなく...
平原を走りRundales Pils到着。



バルトのヴェルサイユ。建物内外、装飾、絵画... ヴェルサイユを思い出しながら見学。

庭園に池や迷宮その他楽しい施設があるらしい。案内板のバッタをゲット。
別料金の庭園は敬遠。
宮殿内のレストランでランチをしたかったが、時間が合わないのか、席がないのか NO!
赤い屋根のレストランを目指す。
 

店の名 "Balta maja"は ”White House” の意味の店だとウエイトレスが教えてくれた。城と同じくらい古いのだ。


野菜中心のご当地料理。

車は延々と十字架の丘に向って走る。ラトビアとリトアニアの国境ゲイト跡を抜ける。
Mrは質問してくれ!を繰り返す。何故?誰が?人家のない平原をどうして十字架を運んだの?
Mr.は熱く答える。当時の苦しかった人々の生活を。
母国語を禁止され、財産も何もかも取り上げられた生活を。
そんな共産圏の生活の中で医療と教育は無料だった。勉強し資格を取り米国に仕事を得た。
「米国では驚いたのは見知らぬ人に話しかけ、笑顔で応対することだった!そこで英語を覚えたんだよ。」
と。
やっと着いた十字架の丘。




大小様々な十字架。
十字架の丘はブルトーザーで取り払われも、取り払われても、また十字架が積み上げられた。
全く聴き取れない言語でミサを上げているグループもあった。
クリスチャンではないが平和を祈る心は同じ。
丘の光景は心に深く残ることだろう。

静かな野のツルフジ、リンドウ、アザミ、初対面の花の姿などがフッと軽い深呼吸を誘ってくれる。










  

Posted by jun1940 at 10:21Comments(0)