2012年04月19日
春爛漫の田辺城
積雪で延び延びになっていた母の百か日に舞鶴へ。
実家は人手に渡ることになっているのでホテル泊。
実家の近くに泊るに忍びず、寺の在る西舞鶴駅前のホテルに入る。
町の西に連なる山にかかる朝靄が次第に上昇する幽遠の景色。
早朝。
浅い川に桜が映り、鴨が一羽。
数分歩いて田辺城公園。
静まり返った公園は桜が満開。ソメイヨシノはハラハラと朝風に散る。
老木の少ないながらも花を咲かせている姿に終戦後のこの公園の姿を思い出す。
花見をした公園、サーカスが来た公園、カクレンボやおままごとをした公園...
手入れが行き届いた今日の公園。小さな真白い花を豊かに装っている桜。
小さな小さな白い花。
サトザクラ(八重桜=牡丹桜)は緋色の蕾。
細川幽斎など様々な史跡のプレートを読みながら遠い遠い古のこと、戦後の引き揚げににぎわったころのこと、そしてこの十数年のこと... 思いに浸る。
隣接する明倫小学校から流れてくる早朝練習らしき歌声に現実に一瞬現実に引き戻される。
そして再びこの小学校で朝練をした音楽室が蘇る。
歌三昧の現在のjunjunの源。
半世紀よりも、もっと、もっと前に今の楽しみが芽をだしていたのだ。
実家は人手に渡ることになっているのでホテル泊。
実家の近くに泊るに忍びず、寺の在る西舞鶴駅前のホテルに入る。
町の西に連なる山にかかる朝靄が次第に上昇する幽遠の景色。
早朝。
浅い川に桜が映り、鴨が一羽。
数分歩いて田辺城公園。
静まり返った公園は桜が満開。ソメイヨシノはハラハラと朝風に散る。
老木の少ないながらも花を咲かせている姿に終戦後のこの公園の姿を思い出す。
花見をした公園、サーカスが来た公園、カクレンボやおままごとをした公園...
手入れが行き届いた今日の公園。小さな真白い花を豊かに装っている桜。
小さな小さな白い花。
サトザクラ(八重桜=牡丹桜)は緋色の蕾。
細川幽斎など様々な史跡のプレートを読みながら遠い遠い古のこと、戦後の引き揚げににぎわったころのこと、そしてこの十数年のこと... 思いに浸る。
隣接する明倫小学校から流れてくる早朝練習らしき歌声に現実に一瞬現実に引き戻される。
そして再びこの小学校で朝練をした音楽室が蘇る。
歌三昧の現在のjunjunの源。
半世紀よりも、もっと、もっと前に今の楽しみが芽をだしていたのだ。
Posted by jun1940 at 15:19│Comments(4)
│舞鶴
この記事へのコメント
えェッ jun junさん実家を手放す!!あァそんな悲しい・・・
数々の想いのこもった故郷の家、城跡、鴨が一羽淋しそう
言葉もありません。
爺ィには故郷がありません。
数々の想いのこもった故郷の家、城跡、鴨が一羽淋しそう
言葉もありません。
爺ィには故郷がありません。
Posted by jijii at 2012年04月19日 19:36
jijiiさま
長時間かかる関東と関西。
私たち3姉妹みな跡取りの嫁。
自分たちの歳を考えるとこういうことになりました。
寂寥感 しきり。
長時間かかる関東と関西。
私たち3姉妹みな跡取りの嫁。
自分たちの歳を考えるとこういうことになりました。
寂寥感 しきり。
Posted by jun1940 at 2012年04月19日 21:36
jun junさま、“爺ィには故郷がありません”??などと
意味不明な事言って失礼しました。
元々北九州、八幡東区、眼下に八幡製鉄所、煙突の林黒煙の上がるところ、
背後に帆柱山を仰ぐ、貧乏長屋に生まれ、流浪する家族と共に
中国に渡り、帰国 更に熊本県八代、戦中は大人に混じって製鉄所に働き
終戦後は鹿児島県志布志の開拓村で働き・・・志空しく
八幡に舞い戻り、製鉄所の黒煙にまみれて40年。
今、北九州の西の外れにあずまやに老後を送る老いぼれ爺ィでございます。
意味不明な事言って失礼しました。
元々北九州、八幡東区、眼下に八幡製鉄所、煙突の林黒煙の上がるところ、
背後に帆柱山を仰ぐ、貧乏長屋に生まれ、流浪する家族と共に
中国に渡り、帰国 更に熊本県八代、戦中は大人に混じって製鉄所に働き
終戦後は鹿児島県志布志の開拓村で働き・・・志空しく
八幡に舞い戻り、製鉄所の黒煙にまみれて40年。
今、北九州の西の外れにあずまやに老後を送る老いぼれ爺ィでございます。
Posted by jijii at 2012年04月20日 11:43
jijiiさま
大変な時代でしたねー お互いに。
戦中 人手が無くなり、私はこの田辺城のある西舞鶴の祖母に預けられました。
しかし軍港の舞鶴です。
幼子の目に防空壕からみる深夜の焼夷弾や探照灯は美しかった!
小学校で歌やお遊戯を課外で練習して、引き揚げ援護局へ帰国された兵隊さん達を慰問、歓迎に行きました。
むかしの、むかしの、物語です。
大変な時代でしたねー お互いに。
戦中 人手が無くなり、私はこの田辺城のある西舞鶴の祖母に預けられました。
しかし軍港の舞鶴です。
幼子の目に防空壕からみる深夜の焼夷弾や探照灯は美しかった!
小学校で歌やお遊戯を課外で練習して、引き揚げ援護局へ帰国された兵隊さん達を慰問、歓迎に行きました。
むかしの、むかしの、物語です。
Posted by jun1940 at 2012年04月20日 13:15