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2011年03月27日

巨大地震後の茨城−1

3/24 常陸太田の姑の実家に電話。ottoの口調から向こうの被害状況が伝わって来る。
先祖代々の農家だから地盤は盤石と思いながらかけた電話だったが、敷地内の母屋、倉庫その他
4棟全部破損。母屋は立て替えねば住めないそうだ。
穀物倉ももちろん立て替え。
籾で一年分予約し、必要に応じて1俵ずつ取りに行っているのだが、倉庫破損では預けっぱなしでは彼に負担がかかる。お見舞いをかねて残りを引き取りに行く事にした。
安全なルートを教わる。
3/25 通勤時間帯を外し、9時過ぎ出発。
国道6号はいつもより流れている。
利根川を越えると屋根の応急処置の白や青のシートが目につく。シートがまだかかっていない所もある。手が回らないのか、手をかけてもどうにもならないのだろうか.... ?
牛久沼の畔の鰻屋も壊れていた。
水戸市に入るとさらにシートが多くなる。
道路も段差や亀裂で、車線減や片側通行など、走っていても緊張が増す。
ガソリンスタンドはほとんど閉店。
弟4から携帯で場所を聴いて来たのは水戸の手前。
弟3は仕事だが妹がいたら元気な顔を見ようと立ち寄ったが留守。市内の実家の後始末にいっているのだ。「それなら元気なんだ」と安心し常陸太田へ走る。
昼に到着しlife-line を確認していると弟4が心配して水戸からやって来た。
その後メールしても電話しても私が出ないので心配させたらしい。... 申し訳ない。
非常食のインスタントもので3人で無事を喜びランチ。
松坂の従兄弟のところへ急ぐ。
4棟の使用可能瓦がまとめられ作業準備が出来ている。村の被害を互いに助け合って順番に治している。積み上げられた肥料などは地震時に庭中に飛び散ったとのこと。
マンホールは飛び上がり天井の高さに突き出たそうだ。
ご夫婦と地震の様子を聴いていたら、近所の人がやって来る。
「従兄弟がシンペーしてきてくれたんだ」と紹介される。
「柱が土台からずれているんだ!」と助力を頼みに来たのだ。
「皆で順番にやっぺ!」と応じている。
長居は邪魔になるし、我家の始末もあるので引き揚げる。

息子が地震の翌日迎えに来た義兄は留守の筈。留守宅を見に行くといない筈の義兄がいた。
自分の家が良いそうだ。1人で居るが元気でなによりと安心する。

家の近所はどこかにシートがかかっている。
巨大地震後の茨城−1
巨大地震後の茨城−1
巨大地震後の茨城−1

甘い香りの梅の背景にはシートが入る。
我家は物置の屋根の瓦が壊れたが、母屋は無事だった。
昨年軽い資材で屋根を作り替えたお陰だ。
物置の屋根に付けたソーラーの機材などのせいだろうが、溜めた水が滴っているが機能するので助かった。
落ちて壊れたもの、動いたものなど余震を感じながら後始末開始。

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この記事へのコメント
junさん
常陸太田はかなりの被害だったようね。
でも命が助かっただけ幸いとしなくてはね。

今日も余震があったわね。
計画停電などという厄介なものが夏まで
続くといわれています。
母は今日から一人で、気持ちはほっとしているみたい。
停電や断水などどこ吹く風で、戦争を生き抜いてきた
世代は強い。
Posted by machan at 2011年03月27日 23:33
machan
命があるって感謝そのもの!
停電も苦にならなくなったのは歳のお陰。
1人の自由な生活はお母様にとっては平穏なのでしょうね。
周りの心配はワガママかも? でも心配!

戦後の停電時 両親と寝ころがって歌をうたってたのを思い出す。
Posted by jun1940 at 2011年03月28日 10:34
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    コメント(2)